支那の春
川ばたのやなぎが、すっかり青くなりました。つみ重ねたどなうの根もとにも、いつのまにか、草がたくさん生えました。あたりは、うれしさうな小鳥の聲でいっぱいです。「もうすかっり春だなあ。」「ここで、あんなにはげしい戦争をしたのも、うそのやうな氣がするね。」どなうの上に腰をかけて、川の流れをみつめながら、日本の兵たいさんが二人、話をしてゐます。
兵たいさんは、今日は銃を持ってゐません。てつかぶともかぶってゐません。二人とも、ほんとうに久しぶりのお休みで、村のはづれまでさんぽに來たところです。「兵たいさん。」「兵たいさん。」大きな聲で叫びながら、支那のこどもたちが、六七人やって來ました。「おうい。」兵たいさんがへんじをすると、みんな一度に走り出しました。子どもたちといっしょに、黒いぶたや、ふとったひつじが二三匹走って來ます。
兵たいさんのそばまで來ると、子どもたちは、いきなりどなうの上にかけあがろうとして、ころげ落ちるものもあります。先にあがった子どもの足を引っぱって、はねのけようとするものもあります。「けんくゎをしてはいけない。」「仲よくあがって來い。」大きな聲で、兵たいさんがしかるやうにいひます。
しかし、にこにこして、うれしさうな顔です。先にかけあがった子どもは、兵たいさんにしがみつきます。あとから來た子どもは、兵たいさんのけんにつかまったり、くつにとりついたりします。「これは、たいへんだ。さあ、お菓子をあげよう、向かふで遊びたまへ。」「氷砂糖をあげよう、橋の上で仲よく遊びたまへ。」兵たいさんたちは、ポケットから、キャラメルの箱や、氷砂糖のふくろを取り出しました。「わあっ」と、子どもたちは大喜びです。ぶたもひつじも、いっしょになって大さわぎです。
お菓子をもらふと、子どもたちは、おとなしく川のふちに腰をおろしたり、ねそべったりしました。さうして、お菓子をたべながら、歌を歌ひ始めました。まだ上手には歌へませんが、兵たいさんに教へてもらった「愛国行進曲」です。川の水は、静かに流れてゐます。どっちから、どっちへ流れるのかわからないほど、静かに流れてゐます。川の向かふは、見渡すかぎり、れんげ草の畠です。むらさきがかった赤いれんげ草が、はてもなくつづいてゐます。どこからともなく、綿のやうに白い、やはらかなやなぎの花がとんで來ます。さうして、兵たいさんのかたの上にも、子どもたちの頭の上にも、そっと止まります。寒い冬はもうすっかり、どこかへ行ってしまひました。明かるい、支那の春です。
昭和17年2月14日 文部省 発行 國民学校 初等科 国語 第三學年用 より
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